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2008年3月

過去の過ちを繰り返さないことを条件に

文科省、新指導要領に「愛国心養成」を追加(2008年3月28日読売新聞)  文部科学省は、約3年の改定作業を経てまとめた小中学校の新学習指導要領を28日付官報で告示する。先月15日公表の改定案と比べ、「我が国と郷土を愛し」といった記述が追加されたほか、「君が代」についても「歌えるよう指導する」と明記されるなど、「愛国心」の養成をうたった改正教育基本法を色濃く反映する形となった。これらの修正点は、文科相の諮問機関「中央教育審議会」の審議を経ないまま盛り込まれており、なぜ新たな文言が突然加わったのか議論を呼ぶのは必至だ。  新しい指導要領は小学校では2011年度、中学では12年度から実施される。今回の修正の中で目立ったのは、一昨年12月に改正された教育基本法に「我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現で愛国心の養成が盛り込まれたことを受け、小中学校ともに全体の指針となる総則に「我が国と郷土を愛し」という文言が加わった点。同じ総則の「伝統と文化を継承し」という記述も「尊重し」に変更され、小学国語に「神話・伝承を読み聞かせる」ことが追加されるなど伝統文化の尊重も強調された。  君が代も小学音楽で「いずれの学年においても指導する」から「歌えるよう指導する」と修正され、中学社会では自衛隊の国際貢献に言及している。先月公表の改定案には、自民党の一部議員から、竹島や尖閣諸島について「我が国固有の領土」と明記されていないとの批判が集まっており、「愛国心を強調することで、そうした批判に配慮した」(自民党中堅)という指摘もある。 ~:~:~  私は、愛国主義者ではありませんが、それでも学校で、式典時に「国旗(日の丸)掲揚」や「国歌(君が代)斉唱」がなぜ問題になるのかは理解できません。サッカーやボクシングの試合の前やオリンピックでの表彰式で国歌が流れたり、国旗が掲揚されるシーンを「がんばれニッポン!」、「よくやった!同じ日本人としてうれしい。」と好意的にとらえる方がほとんどではないでしょうか。もちろん空手道でも、開会式で国歌斉唱が行われないケースは、私が審判に行った大会の中では記憶にありません。  「我が国と郷土を愛す」、これをそんなに難しく考える必要はないと思います。社会の最小単位である家族を愛し、地域を愛し、社会に貢献する。その大事さを教えることをこれまで、ないがしろにしてきた結果が、今の殺伐とした社会を生んでしまっているのではないでしょうか。郷土を愛しているのであれば、路上にゴミをポイ捨てしないでしょうし、自国を愛し、その国民であることに誇りを持てるなら、式典の際に国歌を歌うことに抵抗を感じないでしょう。むしろ、学校で国歌を習わせてもらえず、覚えられなかったら、大人になって国歌を覚えていない自分を恥ずかしいとさえ思うのではないでしょうか。  オリンピックや世界大会でも、たとえば他の国の陸上選手が、国旗を模したユニフォームを着て参加したり、優勝して、観客から渡された国旗を持って走ったり、流れる国歌に涙を流していたり、コメントで、「自国の代表として、誇りを持って臨んだ」、「この勝利を自国のみんなに捧げたい」と発言したりしてるのって記憶にありませんか。これって、みんな愛国の思想を強制されて洗脳されたからですか。  ただ純粋に、自分の国を愛し、その国民であることに誇りを持っているからではないのですか。    たしかに、日本は戦前、国民の愛国心をいわゆる“お国のために”のような軍事的な利用をした時期がありました。これは大きな過ちでした。「日の丸」や「君が代」はその象徴だったように思う人もいるかもしれません。私も、国旗や国歌をそのような思想の統制や誘導に用いることは(思想の統制・誘導自体)大反対です。しかし、過去の過ちを繰り返さないことを条件に、私は、小中学校課程で、愛国心の養成をすることは大いにけっこうだと思うのです。   また、少し話しがそれますが、「国や郷土を大事に思うかどうかは個人の勝手」、「思想の自由を侵害するな」という意見もあります。しかし、自分の住んでいる国や郷土を大事に思わない人が、社会にあふれてしまったら、その国はどうなってしまいますか。自由な思想を持ち行動することと、周りに迷惑をかけるような身勝手な考えを行動に移すことは違います。自由は何をしても自由ではありません。2つの制限を伴います。1つは、他人の自由を害してはならない。もう1つは、取った自由行動には責任を持つ。これもしっかりと学んでいく必要があります。 ~:~:~:~:~:~:~  整体は、中国のもの(推拿)でも、アメリカのもの(カイロプラクティック)でもありません。日本独特のとても高度な療法です。そんな日本を私は誇りに思います。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  ↓励みになります。1日1回のクリックおねがいしま~す blogRanking にほんブログ村 健康ブログへ

「学ぶ」ちからを身につける教育を

「脱ゆとり」先取り、高校高学年向け教科書の検定結果公表(2008年3月26日 読売新聞より抜粋)  文部科学省は25日、来春から使用される高校高学年向けの教科書を審査する2007年度の検定結果を公表した。今回の検定は、ゆとり教育を掲げた現行の学習指導要領の下では事実上最後で、「脱ゆとり」を先取りし、数学や国語、英語などの主要教科で難易度を引き上げるなどした教科書が多かった。  今回の検定には、主に高校3年生が使用する教科書として国語、数学、理科、英語、芸術、工業、商業の7教科48点の申請があり、東京書籍の「生物2」1点が「誤りや不正確な記述が多い」として不合格となったほかは合格した。昨年、沖縄戦の集団自決を巡る記述が問題になった社会は今回、申請の対象とならなかった。  難易度については、「ゆとり教育によって教える内容が減っても、大学受験の難易度は変わらない」との現場からの要請を受けてレベルを引き上げた教科書が多く、数学3では、学習指導要領の範囲外の内容を大幅に増やすなどした教科書が11点中7点に上った。英語のリーディングも、三省堂が新しく学ぶ英単語を2割増の1155語にするなど全15点平均でページ数が3・8%増加した。 ~:~:~  導入当初よりさまざまな問題が指摘されていたゆとり教育が、事実上終わりをつげました。そのゆとり教育も、その前のいわゆる詰め込み教育の問題点の改善から生まれたものですが、結果的にデメリットの方がメリットを上回ってしまったようです。ゆとり教育の一番の問題は、本来の意味での学力、つまり「学ぶ」ちからを子供達から奪ってしまったことにあるのではないでしょうか。  何かを身につけるためには、身につけるための「基礎」というべき準備ができていないと何も始まりません。たとえば、1歳の子供が、走るためには、その前に歩けなければならないし、歩くためには立てなければなりません。自分で立つこともできない赤ちゃんにいきなり走り方を教える親はいないでしょう?  自由な発想 独創性 一芸に秀でた能力 などを発揮したいと思ったら、その前に基礎を十分に学ぶ必要があります。自分のしたい勉強を見つけたなら、それを追求していきたいなら、そのための土台が必要なのです。その土台作りをどれだけできるかが、その人の成長のカギとなります。  土台となる基礎学力を身につける目的は、2つあります。1つは、科目に限らず「基礎的な幅広い知識を得る」こと。もう1つは、知識を得ること自体を手段として、その過程で、「学び方・ものの考え方を学ぶ」ことそして「学ぶちからを身につける」ことです。  どんなものでも、カタチを成したいと思うなら、基礎は広くて、頑丈な方がいいでしょう。基礎が幅広く、しっかりしたものであればあるほど、高く高く積み上げることができます。そしてそれはどんなに高く積み上げてもゆらぐことはありません。これは、たとえて言うなら大きさです。また、自分の思い描くものを実現するのに、より深い知識が必要となった際、学ぶちからを持っていれば、途中つらくなっても、あきらめずに学んでいくことができます。それをヒントに新しい発想も生まれるかもしれません。これは、方向性や形そのもの、デザインとでも言うのでしょうか。この2つがそろって、その人独自のものが出来上がるのだと思います。  ゆとりを脱したら、また詰め込みに戻るだけでは?と不安視する方も多いと思います。ただ、やみくもに知識だけを詰め込んでそれで終わりという教育は、私も賛成しません。詰め込んだ「知識」が、また、詰め込む時に出来上がる「考えるちから」が、その人がやりたいことをとことん追求する時のちからの源となってくれるような、そんな教育を私は望んでやみません。  ~:~:~:~:~:~:~  整体師としての勉強をはじめるにあたっても、基礎学力がある人の方が、アドバンテージがあります。ただ、好きなことを学ぶのは苦ではないはず。勉強嫌いの人でも、その知識がどんなことに役立つかを考えれば、身体の構造やしくみなどの専門知識も覚えることがきっと楽しくなります。  ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  ↓励みになります。1日1回のクリックおねがいしま~す blogRanking にほんブログ村 健康ブログへ

誰にでもできることだけど、誰もができるわけじゃない

 整体師になるには、今や整体師養成校で技術を習得するのが一般的ですが、一口にに整体と言っても、カイロプラクティック重視のところや気功を用いるところなど幅広く、教えてくれる技術のレベルも千差万別です。ただ、共通して言えることは、入校するのにとくに資格が要らない(あっても高卒程度)ということでしょうか。老若男女誰でも可、学歴・職歴・体格・筋力などもまったく関係ありません。  ということは、整体の技術を習得するのには、何も特別な能力は必要ないということです。体操選手のようなバック転ができないとダメとか、100mを11秒切って走れないとダメとか、英語でTOEIC700点取らないとダメとか一切ありません。つまり、整体の技術の習得なんて、本来、誰にでもできることなのです。この点において、よくあるうたい文句、「年齢や性別に関係なく、やる気のある人なら誰でも就職・開業できます」は、正しいと言えます。  しかし、現実はどうでしょう?健康や癒しブームからか、整体師養成校の数は年々増加傾向にあり、現在、整体を習っている方はかなりの数になると思います。(総数のデータを知っている方がいたら教えてください!) それにともない、整体やカイロ、リラクゼーションの店舗は増えている印象はありますが、かと言って、ものすごい勢いで開店ラッシュしているようにも見えませんし、最近新しい店舗できたと思ったら、もうなくなっていた・違う業態に変わっていたなんて話しもまれではありません。つまり、インプットとアウトプットがイコールではない、入校者数=就職・開業者数ではないということです。なかには、「純粋に整体に興味があっただけ」、「家族やご近所にボランティアでやってあげるため」と職業として元から考えていないケースもあると思いますが、これは少数派だと私は考えています。  そうすると、「年齢や性別に関係なく、やる気のある人なら誰でも就職・開業できます」は、実情に合っていないということになりますね。誰も彼もが整体師になれるわけではないということになり、先程の説明と矛盾が生じます。この矛盾はどこから来ているのでしょうか。  ひとつは、たしかに誰にでも“できる”はずなのですが、もともと、できるようになるためには、ある程度の練習が必要であり(練習量や期間は人によって違いますが)、ふつうは簡単には身につかないものが多いということです。  もうひとつは、正しいやり方のみを身につけることが、習得の最短距離であるにもかかわらず、自分の心や身体のクセが本来身につけるべきやり方をねじ曲げやすく、どうしても自分のやりやすいようにしてしまうということがあります。これに陥ると、いつまでたっても正しいやり方が身につかず、最短距離どころか、寄り道ばかりとなり、技術が習得を大幅に遅らせてしまいます。  そうして、技術試験があるところでは、「整体は自分には無理。難しい。」と途中であきらめてしまったり、試験がなかったり、甘甘なところでは、なんとか修了証を手にし、どこかに就職したのはいいが、結局、技術が使えず、違う業種に転職するはめになるのです。  整体の技術は、骨格の調整の一例を挙げれば、正しい位置からズレて不安定な椎骨を、元に戻すだけのことですから、やり方はいたって単純なものです。「余計なことはせず、単純にやる。」、これが理屈で分かって、自分の身体がその動きを分かるようになるのは、簡単でないかもしれません。しかし、先人達はそれを身につけ、現場で実践し、多くの患者さんの役に立ってきました。私もけっして器用な方ではありませんでしたが、開業して3年目、今は何とか、諸先輩の仲間入りをしつつあります。  整体業は、誰でも目指すことができる、老若男女問わず人気のある職業です。また、人には簡単にまねのできない技術を駆使して、患者さんのつらい症状を改善するというとてもやりがいのある職業です。だからこそ「なってみたい!」と思うとても魅力的な仕事なのかもしれませんね。 ~:~:~:~:~:~:~   (春日部本校の火曜日の生徒さんへ) 先日、整体教室で話したかったことはこういうことです。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  ↓励みになります。1日1回のクリックおねがいしま~す blogRanking にほんブログ村 健康ブログへ

素の自分タイム

 私は、越香会で師範代を務めている関係で、他の先生と交代で月に一度、明大剛柔流空手道部(体同連)の指導を担当しています。先週の土曜日がその指導日でした。  指導がある日は、午前中通常どおり、整体院で施術を行ってから、昼ごろ指導に出かけ、夕方また整体院に戻ってきて、患者さんへ整体を施すという流れです。普段はほとんど、たまに見本の動きを見せるだけで、口頭にて指導をしているのですが、しかし、その日はたまたま、夕方からの予約が入っておらず、陽気もよく、身体が動きそうだったので、組手稽古を学生たちといっしょになってやりました。  年齢も倍ほども違うおじさんが若者を相手にするのは、しんどいですが、久しぶりに真剣に身体を動かし、とても楽しく稽古できました。(←って、指導しに来たのではないのか?) もちろん、全体の状況を把握し、都度稽古内容を指示しながらやっていましたが、それでも、目の前の学生を相手する時は、組手に集中していました。この時、“素に戻っている自分”を実感したのです。そして、「やっぱり空手って楽しいなぁ。」、「オレって空手、好きなんだなぁ。」としみじみ思いました。  自分がやりたいことを仕事にできて、仕事にやりがいを感じ、仕事をするのが楽しいと感じる。仕事が趣味みたいなもの。これはこれで、すばらしいことですが、やはり、仕事以外に何かひとつ、“自分が素に戻って没頭できるもの”を持つといいでしょう。スポーツに限らず、芸術、娯楽、何でもいいと思います。どんなにやりがいのある楽しい仕事でも、仕事である限り、自分の好き勝手にはできません。仕事が大きくなればなるほど、責任も増すでしょう。おのずとストレスも溜まってきます。それが発散できなければ、具体的な体調不良につながることもあります。(ストレスがすべて悪とは言っていません) そのストレスの溜まった状態をリセットするのに最適なのが、“素の自分タイム”なのです。  自分の場合はそれが、たまたま空手道のようです。思えば、整体師を志す前、サラリーマン時代、業績な好調な時は、稽古によく行っていた時でした。ギックリ腰になった時は、2度とも忙しさにかまけて稽古がほとんどできていない時でした。どうも私の場合、ストレスの影響が腰痛となって表れるようですね。今は、日々、真向法をはじめとして、体調管理のためのストレッチなどを心がけていますし、何より自分の好きなこと(整体・空手道)をしているので、腰がつらくなることはありません。  ただ、土曜日の分、日曜日がとても忙しかったのですが(当日のお電話も1人お断りしてしまいました)、若干の筋肉痛や蹴りを防がれた時に当たった右スネの痛みを時折感じながら、施術中、トシガイもなく張り切ってしまった自分を少し反省していました。  でも、またやると思います。 ~:~:~:~:~:~:~  あなたは、素の自分に戻れる時間を持っていますか?  整体の技術向上ばかり気にして、それがストレスになっていませんか?  一度、他の何かでリセットしてから見つめ直すと、新しい発見があるかも。  ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  ↓励みになります。1日1回のクリックおねがいしま~す blogRanking にほんブログ村 健康ブログへ

「自分がされていやなことはやらない」を教えるには

熱したスプーンを生徒の手に、苫小牧の中学教諭が体罰(2008年3月14日 読売新聞)  北海道苫小牧市内の市立中学校で昨年3月、男性教諭(39)が理科の授業中、ガスバーナーで熱した鉄製のスプーンを当時2年生だった男子生徒(15)の手に押し当て、全治2週間のやけどを負わせていたことがわかった。  市教委は学校から体罰の報告を受けたが、1年間にわたって道教委への報告を怠ったため、男性教諭の処分も行われなかった。市教委によると、男性教諭は昨年3月8日、理科の実験でガスバーナーを使用した際、男子生徒が熱したスプーンを同級生の手に押し当ててふざけていたため、「自分がやられたらどう思う」と言って取り上げたスプーンを熱し直し、男子生徒の右手の甲にスプーンを押し当てたという。男子生徒は翌日、全治2週間と診断された。男性教諭は治療費を負担し、生徒や保護者に謝罪した。  市教委は体罰について、翌日には学校側から連絡を受けていたが、道教委には先月下旬まで報告していなかった。市教委は「当時は学校側の対応で収まるとの判断もあった。さらに、担当職員の異動時期で十分な引き継ぎが行われず、うやむやになった」としている。 ~:~:~  学校(とくに小中学校)には、勉学を教えるのみならず、社会規範や道徳など、しつけにあたる部分の役割も求められています。この教諭はけっして、私的感情やストレス発散のため、生徒に体罰を加えたのではありません。「自分がされていやなことは他人にやらない」、「(授業など)真剣に取り組むべき時にふざけない」ということを教えるために、今回このような行為をしました。この教諭は問題教師どころか、きっと、正義感の強い、曲がったことがきらいな先生なのでしょう。他の生徒に悪ふざけをしている姿が許せなかったのでしょうね。私はここを重要視したいと思います。  男子生徒のやけどは全治2週間ということなので、おそらく真皮のやけど、すなわち水ぶくれ程度のものでしょう。範囲もスプーンの大きさですから軽傷で済んでいるはず。たしかに指導方法に行き過ぎの面はありますが、教諭が治療費を負担し、生徒やその親御さんに謝罪もしていることから、市の教育委員会も大きな問題ではないと判断し、道の教育委員会に報告しなかったのでしょう。  教諭が、生徒や親御さんに謝罪していますが、もしそこで、親御さんの方から「こちらこそ、ウチの息子がご迷惑をおかけし、申し訳ありません。これからもご指導のほどよろしくお願いいたします。」と子供の前で謝罪できていれば、りっぱな教育になったと思います。逆に、「こんな体罰は許されない!息子に謝れ!」と罵倒していれば、この生徒は、「このくらいの悪ふざけは許される。叱る先生の方が悪いんだ。」という誤った認識を持ってしまうでしょう。この生徒は元々は、他の生徒に対しては加害者です。今回、この教諭のやり方は正しくなかったかもしれませんが、この生徒は、他の生徒に対して危害を加えた罰を受けなければなりません。それが、お咎めなしとなってしまえば、カン違いをしたまま大人になってしまうでしょう。  「自分がされていやなことはやらない」ということを教えるには、実際にいやな思いを体験させるのがたしかにてっとり早いですが、だからと言って、“因果応報”や“悪いことをすると罰(ばち)が当たる”などの言葉どおりに、だれかにケガを負わせたなら、そいつをケガさせていいというものではありません。教育に熱心なあまり、時として声が大きくなったり、大きな音を立てたりしながらお説教することもあるでしょう。しかし、体罰に説得の手段を求めるのではなく、相手の身体の痛みや心の痛みを想像させながら、自分がその痛みを受けたらどうかを考えさせ、自分の非を認めさせることができればいいのではと思います。  このニュースを読み、「体罰は悪」という認識を十分持っていながらも、この教諭の行動に一定の理解を示すという、ある意味二律背反している自分がいます。人によってもさまざまなご意見がおありだと思います。万人が納得する結論はないのかもしれません。 ~:~:~:~:~:~:~  「自分がされていやなことはやらない」これを学んでこなかった人は、整体をはじめ、人の身体になんらかの施術をする仕事を目指すべきではありません。  ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  ↓励みになります。1日1回のクリックおねがいしま~す blogRanking にほんブログ村 健康ブログへ

夢の途中

 9日、日曜日の名古屋国際女子マラソンは、注目の高橋尚子選手がまさかの惨敗、マラソン初挑戦の中村友梨香選手が優勝という衝撃的な結末となりましたね。みごとオリンピック代表の座を射止めた中村選手には、北京でもぜひ活躍してほしいと思います。  それにしても、高橋選手がひざを故障し、昨年8月に右ひざの半月板の手術をしていたとは知りませんでした。レース後のインタビューで高橋選手からひざの手術のことが語られると、その後のニュースでは、敗因はひざのケガが十分治っていなかったからという論調が目立ちましたが、私はそうは思いませんでした。  それは、たしかにレース中、高橋選手が右足に水をかけるシーンはありましたが、レース中やレース直後の小出義雄監督やTV解説者などのコメントを聞いても、「右足をかばっているように見える」ようなことは誰も言っておらず、どちらかというと、「調整の失敗・体調不良だったのでは?」というコメントが多かったからです。  では、ひざの状態は、レースにはほとんど問題がなかったにもかからわず、なぜ失速してしまったのでしょう?一言で言えば、「準備期間があまりに短すぎた」ということになります。もう少し言えば、「フルマラソンを走る準備が整わないことを高橋選手が自覚してしまっていた」からだと思うのです。高橋選手は一流のプロアスリート選手です。今までは、常に十分な走り込みをして準備を重ねに重ねて、レースに挑み、結果を出してきました。しかし今回は、手術後のリハビリのため、十分な準備ができませんでした。それが高橋選手から自信を奪い、あせりを生み、その気持ちが当日の体調不良を呼んでしまったのだと思います。  以前にも言いましたが、一流のスポーツ選手の身体は精密機械のように繊細です。わずかな体調の変化や感覚のズレが致命的になることもあります。そのかわりすべてが良い方向にピッタリとそろった時、思いもよらぬスゴイ結果を出すこともあります。今回の高橋選手はベストコンディションでレースに臨むことができなかった、ピッタリとそろえることができなかった、ただそれだけだったと思います。第一線で活躍するポテンシャルはまだまだ十分にあります。  高橋選手は、「あきらめなければ夢はきっと叶う、それをこのレースでみんなに伝えたかったけど、こういう結果になって残念」という主旨のことをレース後のインタビューで言っていました。しかし、ひざの故障、リハビリ、準備不足、体調不良を乗り越えてレースに挑み、最後まで走りきった姿を見せてくれました。そして現役続行発言にファンは勇気づけられたと思います。  私も、「何事もあきらめたらそこで終わり。自分があきらめない限り、最後にはきっと夢は叶う。」と思っています。もちろん、あきらめないということは、実現に向けて、それ相当の覚悟と努力と自分を信じる強い気持ちが必要ですが。  今回は、まだ夢の途中ということで。今後の高橋選手の夢に注目していきたいと思います。    あきらめない限り夢は続きます。 ~:~:~:~:~:~:~  夢を実現させるには、具体的な目標設定が必要です。努力すれば実現可能であろう目標を設定し、階段を上るようにひとつひとつクリアしていく。それを積み重ねていくうちに、ある時、振り向いたらこんな高みに上ってきていたんだと、以前、夢だったところまで来ていたんだ気づく。そんなものだと思います。  ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  ↓励みになります。1日1回のクリックおねがいしま~す blogRanking にほんブログ村 健康ブログへ

ホームページは玄関のようなもの

 近年、調べ物をするといったら、まずインターネットで検索するというのが、主流になってますね。パソコンが家にない人も、携帯電話で検索したり、インターネットカフェで調べたりもします。うろおぼえの情報や、聞きかじったことなど、とにかくキーワードを入力して検索すれば何かが出てきます。最近では、Yahoo!Googleはもちろん、利用者が自由に執筆できるインターネット上のフリー百科事典であるウィキペディア(Wikipedia)も、情報の収集によく活用されていますね。  私も、整体やカイロプラクティックの勉強や情報収集に、パソコンをよく使っています。他の整体師や、医療に関わる方達がどのような考えを持って、日々患者さんに向き合っておられるかにも興味がありますので、いろいろな整体院や接骨院、整形外科医のホームページを見させていただくこともあります。その他、自分の中で不確かだったことやちょっとした一般常識や雑学について確認する上でも大変重宝しています。  しかし(業務用の)ホームページのしかもトップページってよく見ると、(お店などの)玄関のような感じがしませんか。玄関には、看板があって、案内表示があって、いつも掃除をして、お花やプランターなどを置いてきれいにして、お見えになる方を迎える準備をしているでしょう?もしこれが、「看板や案内も、何をするところだか分かりづらい」、「入り口が煩雑になっていて入りづらい」、「殺風景でそこにあるもの気づかれない」なんてところだったら誰も来ませんよね。  最近は自分でも簡単に作れるようになったためか、とても「???」なホームページが目に付くようになりました。まあ、私も自分でホームページビルダーで作っているので、人のことはあまり言えませんが。整体やカイロ系のホームページを見ていても、人に何か施術をするところだと思うのですが、何をしてくれるのか結局よく分からなかったり、トップページいっぱいに院長の想いが、ひたすらつづられていたり、絵とか写真とかもなくて殺風景でぜんぜんつまらなかったり、誤字脱字のオンパレードだったりと様々です。  これらのページを見ていて思うことは、「きっと、ページを見てくれる人のことよりも、自分が表現したいことを一番に考えてしまう人なんだな。」ということです。つまり、自分が何をしたいかを真っ先に優先するので、こんな人は、施術中に患者さんが痛がっていてもそれに気づかず、または、気づいていても自分のやりたい施術をかまわずやってしまう可能性があります。「いや、それはホームページに関してシロウトだけであって、施術に関しては絶対の自信がある。」と反論する方もいらっしゃるでしょう。でも、ホームページを見ている人は、そのページのデザインや内容で判断するしかないのです。それは、自分が、調べる立場になってみれば容易に分かることです。  私自身、今のホームページは2代目です。初めに作ったものは、それはひどいものでした。ただ自分の整体院を紹介したいという気持ちだけで作っていたのです。そんないいかげんな押し付けホームページを見て誰が電話をくれるでしょうか。その後、たまたま、ある方からアドバイスを受け、ホームページを真剣に見直すようになりました。「見る側の気持ち」を第一に、どうしたら見やすく、分かりやすいか、見る人はどんな情報を求めているか、それに自分はどう答えるかなどを考えていくうちに、玄関をきれいにするような気持ちでホームページを作ればいいと気づいたのです。  その後、ページを増やしていったり、内容の充実を図ったりしてますが、どうしても文字が多く、ごちゃごちゃと見づらくなってしまうので、そういう時は、できるだけ第三者の目で見るようにしたり、他の人に意見を求めたりと、「自分の言いたいこと中心」にならないように心がけています。みなさんからアドバイスいただけたらうれしいです。 ~:~:~:~:~:~:~  身体の説明で「股間節(→股関節)」、「内蔵(→内臓)」なんて誤字を使っていたら、それだけで幻滅しちゃいますね。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  ↓励みになります。1日1回のクリックおねがいしま~す blogRanking にほんブログ村 健康ブログへ

独善≠正義

調査捕鯨妨害 海上保安庁が傷害容疑などで捜査(2008年03月04日朝日新聞)  米国の反捕鯨団体「シー・シェパード」の妨害活動で、日本鯨類研究所の調査母船・日新丸の乗組員ら3人がけがをした事件で、海上保安庁は傷害や威力業務妨害容疑を視野に捜査する方針を固めた。日本の領海外では船内に乗り込まれた場合を除いて強制措置をとれないため、法務省などを通じて、船籍国のオランダなどに捜査共助を求めることを検討する。  けがをした3人のうち2人は海上保安官。抗議行動の即時中止を求めて甲板で警告を発するなどしていた。3人は投げられた瓶内の液体が目にかかり、一時は痛みを訴えたが、現在は回復しているという。海保は「けが人が出ており、法に基づき厳然と対応する必要がある」と判断。現場で撮影した写真や映像を解析し、瓶を投げた人物の特定などを進める。  海保はシー・シェパードによる過激な抗議行動から日新丸の乗員らを守るため、小銃を携帯した保安官数人を派遣して警護にあたっていた。07年2月にもシー・シェパードの妨害工作により乗組員2人が軽傷を負ったため、昨年11月に日本を出航した今回の調査捕鯨から海保の海上保安官も同行していた。 ~:~:~  この反捕鯨団体は、きっと自分達の掲げる正義の名の下に、勇気ある行動をしたと自負しているのでしょう。「たとえ、適法とされる調査の為の捕鯨だろうが『鯨をとらえて、殺す』行為に他ならない。だから、実力で阻止する!その為には、犠牲者やけが人が出るものやむをえない。」と考えているのでしょう。この考え方は、極めて恐ろしいものです。  なにせ、「鯨を守る」為には、「人を傷つけてかまわない」という発想なのです。これは、自国の利益を著しく損なう他国の行為は実力で排除する~つまり自衛という大義名分があるなら戦争を肯定するという考え方と根底が一緒のものです。断じてこれを認めるわけにはいきません。  人は自分の中に、『正義』を持っています。そしてそれは、だいたい共通しているのですが、人によったり、国によって微妙に違ったりします。たとえば日本から見れば、この反捕鯨団体は不法行為・傷害行為を繰り返す悪者以外なに者でもありません。違う考えの者を「自分の正義をじゃまする悪いヤツだ!」と決めつけ、「悪者には正義の鉄槌を!」となった時、その正義は暴走し、ただの独善と化します。  やっかいなのは、本人達がそれを正義だと思い込んでいて、正義の為なら、この場合、鯨を守るためなら何をしても許されると考え、行動してしましまっていることです。ですから、この人達の考え方を改めさせることはかなり難しいでしょう。しかし、しっかりと日本の調査捕鯨の正当性・妥当性を訴え、関係各国に自国の団体がこのような蛮行を二度と行わないように、強く厳しく申し入れをしていってほしいと思います。 ~:~:~:~:~:~:~  患者さんへの、そのアドバイスは、例えば医学的見地から見ても正しいものですか?そのタイミングで言うべきことですか?独り善がりになって、ただ単に患者さんの不安をあおることになったりしていませんか?自分の中の正義がいつも正解であるとは限りません。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  ↓励みになります。1日1回のクリックおねがいしま~す blogRanking にほんブログ村 健康ブログへ
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