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2012年10月

自分の拠り所とするもの○

 前回ブログの自信と自疑の話しにつながるのですが、私は自分の拠り所とするものは自分だと考えていました。しかし、これだと自分の考えなんて高が知れてますから、間違いもしますし、てんで弱い存在ですよね。でもそれはある程度仕方ないと思っていました。人間なんて、弱いし、間違うし、みんなそうやって生きていると思っていました。しかしその考え自体、間違っていたのかもしれません。

 そもそも自分を拠り所とする時点で間違いなのです。ここから先は、武道や武士道の話しになっていきます。ただし私見が入りますので、その点ご容赦ください。(武道とは?武士道とは?の話しは、ごかんべんください。武士道の本と言えば、『新渡戸稲造著 武士道』があります。私も読みました。ご一読を。)

 自分は正しく在りたい、でも自分が正しいかどうかの判断は分からない。ではどうしたらいいのか。それなら拠り所を自分ではなく、自分のもっと上の存在に置くのです。思えば、過去から現在に至るまで、人はそうやって、正しい行いという物を身につけて来たように思います。私心、私欲を捨て、師に付き従う。この滅私の発想を持てるかどうかが、鍵なのではないでしょうか。

 これを実行できる人は、強く、正しく在ることができます。しかし、何かの際に、師の言動が自分の想像と違っていた場合、ある意味自己否定をし、師の考えを是としなければなりません。これを自然に行うことができる人が、自分に正しさを取り込めるのでしょう。そう考えれば、自己否定は何も悪いことではありません。自己の主張が過ぎたり、出しゃばりは、良かれと思ってやっても受け入れられません。

 ここで、勘違いしていただきたくないのは、「私心、私欲を捨て」と言うのは、何も考えないロボットになるというのではありません。ただの指示待ち人間とは違います。やるべきことは、自ら進んでやるのです。そして余計なこと、出しゃばったマネは一切しないのです。こう書くと、結構難しいでしょう?誰にでもできることではないのです。自分で考えて、自分の意志で私心・私欲を捨ててみるのです。

 そして、会社の上司でも、親でも、学校の先生でも、自分が師を仰ぐ人でも、誰でもいいですから、その人ならどう考えるか、その人の為に何ができるかを考えて行動するのです。これなら、間違った行動は取らないでしょう。実は、こうは書きましたが、自分ではまったく出来ていません。謙虚でいることの難しさを実感します。

 世間を見ても、大きな存在になっても、偉ぶらず、謙虚でいる方のほうが、正しい生き方をしているように感じます。反対に、TVでちょっと売れて来て、生意気な態度を取っていたタレントなんかは、あっという間に姿を消していますね。ただ控えめにしていればいいというわけではなく、判断基準を常に、自分よりも上に置いているから、間違わずに人生を歩んでいるんだと思います。

 ちなみに私の名前は「謙一」です。そう、『謙虚』の『謙』なんです。どうして親が自分にこの名前をくれたのかしっかりと考えなければいけませんね。

 

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自疑も必要○

 最近は、自分に自信を持つことの大事さ、ポジティブシンキングの大切さがよく取り上げられています。何が正しいのか分からない、複雑極まりない社会で、自分を見失いがち。仕事がうまくこなせず、自信を失い、うつなど病的になってしまうケースも耳にします。だからこそ、巷では応援ソングが流行り、自己啓発本の内容も、自分の評価を前向きに捉えましょう的なものが、多く書店に並んでいます。しかし、はたして本当にそれだけでいいのでしょうか。

 実は、私は先日、取り返しのつかないような、大きな大きな過ちを犯しました。(*整体の施術に関することではありません。その点だけはご安心を。) しかし、その過ち自体よりも、過ちを生み出す自分自身に問題の本質がありました。私はある方に諭されてようやくそのことに気づきました。私は、自信を通り越して、慢心し、思い上がっていたのです。そういう自分を、自分のする行為を、疑うということをして来なかったのです。

 そしてやっと分かったことがあります。人は自信だけではダメだということ。自信は過信に、過信は慢心につながります。そのブレーキ役として言うなれば、『自疑』の心を常にあわせ持たなければならないのです。自分の行いが正しいだなんて、簡単に思ってはいけないのです。何気ない言葉や振る舞いが、いかに周りを不快にさせるか、不満に、迷惑に思わせているか、時に立ち止まって考えることが必要です。何かをやる際に、主観で判断し、物事を推し進めてしまった場合は危険です。

 私は、自分の行いを上っ面の確認だけで、良しとしてしまう傾向にあります。第三者の意見を聞いたり、自分でも客観的に見つめ直せば、「それはまずい」と気づくはずなのですが、大丈夫だと思い込んだ結果、止めたり、変更したりするチャンスを逃してしまいます。思えば、小さい時、若い時、そして今、幾度と自分を改めるきっかけを他人に与えてもらいながら、事の本質に気づかずここまで来てしまいました。

 ただ、自疑の心を持つからと言って、自信を持ってはいけないというわけではありません。自疑がブレーキなら、自信はアクセルです。自分自身で一歩前に進まないと、成長も進歩もありません。自分の良かった点、周りが認めてくれた点は素直に誇っていいと思います。失敗した時も反省ができるなら、それも評価していいと思います。

 へこんで、諦めて、自暴自棄になるのは、反省とは言いません。しっかりと自分自身を見つめ直して、心の周りの余計な物を削ぎ落として、真の核たる自分を根拠に自信を持って、客観の自疑を側に置きつつ慎重に少しずつ前に進めば、こんな自分も変われるのではないか、そう思っています。

 

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魔の交差点に感応式信号を!○

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 整体院から、ほんの20mくらい離れたところにある交差点が、いわゆる魔の交差点なんです。道路が開通して以来、7年弱の間に年間必ず複数回以上、ですからもう20件近くは交通事故がある交差点です。昨日も朝から、横切ろうとするクルマの横に、通過しようとするクルマが出会い頭でぶつかる事故がありました。この交差点、事故が起こるには理由があります。

 写真には、青信号が見えてしますが、この交差する側にはクルマ用の信号がなく、歩行者用の押しボタン信号しかないのです。ですから、この道路を横切ろうとするクルマは、止まれで一旦停止をした後は、自分の判断でクルマを進めるのです。しかし、この道路側を走行するクルマは、普通に青信号のままなので、減速せずに通過しようとします。そこで「渡れる!」と思ったクルマと、思いのほか速度があるクルマとが出会い頭でぶつかってしまうのです。

 一番の解決方法は、横切る側に感応式信号を取り付ければいいのですが、自治会からの要望にもかかわらず、未だ取り付けに至っておりません。それなら、せめて、青ではなく、黄色の点滅にしてしまえばいいと思うのですが、効果は限定的でしょう。

 この横断歩道は、私の娘たちの通学路にはなっていませんが、桜井南小に通う生徒が、朝夕利用しています。おそらく学校でも要望を出していると思いますが、死亡事故や重体の怪我人を出す事故が起こる前に感応式信号に切り換えていただきたいと思います。

 場所は、住所でいうと、越谷市下間久里526あたりです。

 

 

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心の服○

 今シーズン放送しているドラマ『眠れる森の熟女』が面白くて毎週観ているのですが、それにしても、主演の草刈民代さん、たたずまいが美しいですよね。見ていてほれぼれします。普段からああいうふうに、スーッと立っていられたらなあと思います。

 毎週観ているのはストーリーが面白いからなのですが、このドラマのキーワードとして、『心の鎧』という言葉が出てきます。瀬戸康史さん演じるホテルの総支配人が、他人を全く信用できずに、二重人格のような振る舞いでいるのを見て、草刈さん演じる千波さんが、「心の鎧を脱いで接することのできる相手を見つけては・・・」と手紙で伝えます。この手紙を読んで、ちょっと千波さんに片思い中かなという総支配人は、複雑な心境になりますが、本心では『心の鎧』を脱ぎ去りたいと思っているようでありました。

 私ももちろんそうですが、皆それぞれに、その立場立場での自分という物があります。職場での自分、客先・取引先での自分、仲間内での自分、家族との自分、そして独りきりでの自分。多少はそれぞれに使い分けていると思います。その使い分けは、鎧でも二重でもなんでもなく、ごく自然な行為、というよりもするべき行為だと思います。

 私は、心にも服を着せるものだと思っています。外出する時には、部屋着から外出用に着替えるように、正式な場では、フォーマルな格好をするように、心にもそれ用の服を着せていると思っています。それはある意味、礼儀ですが。いつでもどこでも、素の自分でいていいわけありません。きっとそれは失礼に当たるでしょう。

 もちろん素の自分で居られる時間も必要です。いわゆる心の洗濯ってヤツも時に必要でしょう。素の自分を受入れてくれる相手がいる人は幸せです。もちろんその人に、心の服を着た状態で接して、それを喜んでもらえれば、またそれもうれしいことでしょう。

 ただドラマにも出てくるように、心に鎧を纏って、誰にも自分の心の内を見せないようにしているのは辛いです。しかし、その一方で、心の内を見せて、拒否されたら立ち直れないかもって気持ちも分かります。もっと辛くなるなら、この辛さのままでいいみたいな変な覚悟も少し分かります。でもそれでは幸せにはなれませんよね。幸せには、『一』つ足りません。

 普段、私たちはどんな心の服を着て、接しているのでしょう?そしてそれは相手にどういった印象を与えているのでしょう?時には、場違いな服を着て出て行ってしまうこともあるかもしれません。それはそれで恥を掻いたら、反省をして次直せばいいことです。多分そうして、成長していくのだと思うのです。

 

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空手教室の発表で感じたこと○

 先週の土曜日、私が担当している空手教室(課外)のあるみひかり幼稚園の運動会が行われました。台風の接近が懸念されましたが、園児たちのパワーが上回ったせいか、台風をまったく寄せ付けず、晴れたいい運動会日和となりました。そこで、午前のプログラム終了後に、空手教室の発表演武が行われました。月曜と金曜の夕方から園内ホールで、空手道の少年部(小学生向け)があるのですが、少年部で習う小学生にも応援を頼みました。

 発表内容は、基本稽古~移動稽古~形といった流れで、約7分間程度のものですが、正直、園児たちだけではおぼつかないので、小学生にお手本になってもらって助かりました。「少年部のみなさん!ありがとう!!」 みんな実に真剣に、取り組んでくれました。私の指導力不足を、みんなの真剣さがカバーしてくれたようなものですね。まずまずの結果だったと思います。

 号令を掛けながら見ていて、誰一人ふざけることもなく、飽きることもなく、最後まで集中していた感じが伝わってきました。発表向けの練習を始めた頃は、とくに移動稽古なんかは、普段時間が取れず、やっていないので、何をどうしていいのか分からず、ふざけて終わってしまい、保護者の方に「先生、運動会までに間に合うんですか?」と心配されたほどです。

 また、形も全員が、1人で最後まで出来ているわけではありません。途中止まってしまったり、左右逆になったり、端折って終わりにしてしまったりと、形にならない子もいました。それでも、『力強く』『元気に』『楽しく』を合言葉に、みんながんばってきました。途中、「やる気ないなら、正座してろ!」と大きな声で注意したこともありましたが、ちゃんとついて来てくれました。

 空手の演武としては、まだまだですが、新しいことにチャレンジする姿は、満点だったと思います。最後にやった形演武も、力強く、今までで一番の出来だったと思います。みんな、よくやったね!そして、ありがとうね!

 私は、子育てや教育は、子供に、『ストレスは掛けてなんぼ』だと思っています。言ったら、『麦踏み』みたいなもんです。ちょっと無理めなことをさせて、努力させる、苦労させる、ガマンさせる、それで出来た時はほめてあげる。もちろん今のご時世、ホントに無理なことはできませんし、やっても身になりませんから、やりはしません。

 しかし、子供が「疲れた~」「やりたくな~い」「つまんない~」と言って来て、それを都度聞いてあげてたら、それは子育てにならないでしょう。時には、疲れてもやる、嫌でもやるという姿勢がないと、成長できません。私は、「疲れたのは、がんばった証拠」「汗をかいたのは、一所懸命やった証拠」「ガマンできた時は、心が強くなった証拠」と言うようにしています。

 子供はストレスがない方が、やることがなくなって、かわいそうだと思います。子供に与えるストレスは、親の期待の顕れです。親になんの期待もされない子ほどかわいそうな者はいないでしょう。「ほらママ、ぼく出来たよ!」って得意満面の笑みを見せてくれた時が、親として一番幸せなんじゃないでしょうか。

 もちろん、ストレスの掛け方、期待の掛け方には、一定の配慮が必要でしょう。本当に子供を押しつぶしてしまうようなストレスはいけません。大人でも、難しい仕事をクリア出来た時の喜び、達成感、上司や同僚からの賞賛は、いいものでしょう?適度なストレスがあってこそ、日々の生活が快適に送れる。これは大人も子供もいっしょです。

 

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たんぽぽは、タフだなあ。○

 お彼岸を過ぎたあたりから、急に冷え込んで来て、涼しいを通りこして、寒いくらいになったと思ったら、台風が去って、いきなり真夏日に逆戻りしたりと、気温の変化に体がついていかないですよね。体調管理がとても難しい時期、寒暖差アレルギーになったり、風邪を引いたりする人が目立っています。みなさんどうかお気をつけを。

 ちなみに、10月の30℃超えは、7年ぶりだそうです。7年前、開院直前の10月上旬、石垣島の先輩の整体院を訪れていたのですが、その時羽田空港での気温と、石垣空港の気温が同じだったのを憶えています。あの時も暑かったですね。石垣の海はとてもきれいで、海水浴も満喫できました。良い思い出です。

 先日、暑さも一段落したので、整体院の周辺の雑草を刈っていたのですが、アスファルトのすき間からまた、たんぽぽが生えて来ていました。本当にたんぽぽは、タフなんですね。アスファルトですから、根っこまでは取れないのですが、それでも地上面はきれいに刈っているのに、また何ヶ月かすると生えてくる。スゴイ生命力ですね。

 ご存知の方も多いと思いますが、そのタフさの源は、根にあります。たんぽぽは、地中深く深く根を張ります。深く長く根を伸ばせは伸ばすほど、その根に多く栄養を蓄えることができます。ですから、茎や葉を刈られて、光合成がまったくできなくても、枯れずにまた芽を出すことができるのです。このタフさ、私も含めて、今の日本人に必要だとは思いませんか?

 失敗した時、誰かに叱られた時、何をしてもうまくいかない時、反省はしても、落ち込むことはありません。「ああ、もう消えてしまいたい。」というような恥ずかしい思いをしたり、嫌な思いをしたりすることもあるでしょう。そんな時は、たんぽぽを思い出してみてはいかがですか?茎や葉は刈られ、一見消えた状態になっても、死んでおらず、しばらくしたら、何事もなかったかのように復活して、花をつけ、綿毛を飛ばします。そうです。今この瞬間ダメでも、次復活したらいいんです。

 そう思えば、失敗も怖くありません。ダメだったら、やり直せばいいんです。チャンスはいくらでもあります。そのために、うまくいかない時は、騒がずじっと我慢して、根を深く長く張って、準備をしていればいいんです。ちょっとやってみて、ダメだったからといって、すぐ「あ~、ムリムリ」とか言わないで、失敗して少し恥ずかしい思いをしたからといって「ヤダヤダ、もうやらない」とか言わないで、チャレンジしてみてください。

 みんな、それぞれに、次のチャンスを物にできるだけの、根っこをきっと持っているはずです。無理だ、できない、と思っているのは本人だけで、周りはきっと期待しています。この世の中、そうそう『無理』なことはありません。たいていの事はなんとかなります。あきらめなければ、成し遂げることができます。

 刈っても刈っても生えてくるたんぽぽを想像して、そうは思いませんか?

 

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