人の生死に関わることは

愛知県の中3男子が同学年男子を包丁で刺して、命を奪ってしまった事件はとても心が痛みました。

事件の全容解明には時間がかかり、また少年犯罪なので報道にもある程度規制がかかるので、私達がその全貌を知る事はないのでしょうが、それでもこういう事件を聞いて思うところはあります。

傷害致死として扱うかもしれませんが、学校に包丁を持ち込んで朝一番で腹部を刺しに行ってるところからすれば十分殺意はあったかと思います。中3にもなれば、自分の行為が人を死に至らしめる事も想像に難くなかった事でしょう。

また、被害者の少年は始めは「あんなに良い子が死んでしまうなんて」という同情の声をマスコミは拾っていましたが、加害者が「いじめにあった」という趣旨の発言したとたん急に、加害者に同情を寄せる声も拾い始めました。私はこの報道には違和感を感じます。

「いじめにあったなら仕返しは当然」「いじめを行うようなヤツは死んで構わない」「本当の被害者は刺された側じゃなく刺した側」という意見はすでにありそうなので、あえてそうではない立場で言ってみたいと思います。

まず人を殺す殺さないでは、天と地程の差があります。人を殺したい程憎んでいたとしてもほとんどの人はそれを実行には移しません。どんな理由があるにせよ普通は人は人を殺さないのです。それをためらいもせずやってしまう人の神経がまともであるとは思いません。そんな人の発言を私は100%信じる事は出来ません。

もちろん、これまで凄惨な「いじめ」という名の極悪犯罪を受け、それに耐えきれず自殺を選んだケースもたくさんあります。人を極限状態に追い込むいじめ行為は、厳しく罰しなければなりません。いじめの張本人にも制裁を加えたいという気持ちも十分に理解出来ます。私は本来『目には目を歯には歯を』という考えの持ち主ですから。

しかしそれでも人の生死に関わる事はしたらダメです。それはフィクションの中の話しだけにしてください。殺人に至る動機の解明はすべきですが、殺人を肯定してはいけません。たとえ殺される側に批難されるべき行為があったとしてもそれをもって「死んで当然」などと言ってはいけないのです。

本当にいじめ行為があったのか、あったとしたらどれほどのものだったのか、それは相手を殺さないと止まらないもの、相手の命か自分の命を選択しなければならないほどのものだっのか、私には分かりません。ただ繰り返しになりますが、どんな理由があっても他人の命を奪うのも自ら命を絶つのもやってはいけない行為です。その背景を理解しつつ、心情に寄り添ってあげつつもそこの線引きだけは誤ってはいけないと思います。

殺した側の生徒の御家族、殺された側の生徒の御家族とも、これから相当な苦しみが待ち構えている事でしょう。重大犯罪は自分と当事者だけなく家族にも苦悩をもたらします。一瞬でも自分の家族への影響を考えたら、この凶行を思い留まってくれなかったでしょうか。

所詮は他人事のそしりを受けますが、悔しくて悲しくていられません。皆さんはどうお感じですか。

 

 

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