ここにもDSかぁ・・・

 先週、子供が通う保育園のお遊戯会を観に行ってきました。ここの保育園は3歳児・4歳児組と5歳児・6歳児組と2週に分けて行われます。2つに分かれることで、両方にお子さんを持つ親御さんはたいへんですが、それでも子供たちの待機時間が短くて済む、観覧者ほぼ全員がお遊戯室内で観ることができる、午前中で終わるので、その後、家族で食事に行ったり、予定を組むことができるなどのメリットもあります。うちの子は3歳児で今年がお遊戯会デビューでした。  歌や楽器演奏、曲に合わせたダンスなどみんな楽しく、元気に披露してくれました。私ももちろんですが、観覧に来た親御さん、おじいちゃんやおばあちゃんは拍手や手拍子で応援したり、そして自分の子供や孫の出番の時には、デジカメやビデオ撮影に懸命になっていました。お遊戯会は、3・4歳児にしては、たいへん出来が良く、雰囲気もとてもよく、大成功に終わりました。しかし、少しだけ気になったことがありました。  私達の近くにいた小学生の子が、お遊戯会を観てるあいだ中、ずっとゲーム機のニンテンドーDSをやっていたのです。たぶん、家でひとりでお留守番はできず、親に連れられて、弟か妹のお遊戯会を観にきたのでしょう。さすがに自分の兄弟の時は、舞台を見ていたように思いますが、ほとんどの時間をゲームに費やしていたと思います。  しかしこの子は、表面上誰にも迷惑をかけてはいません。ゲーム音もまったく聞こえませんでしたし、へんな声も発しません。親御さんのそばでおとなしくただDSをやっていただけです。だから、「何が悪いのか?」と問われるとなかなかうまく言えないのですが、あえて言うなら、「がんばっている園児達に失礼。」ということでしょうか。とは言っても、当の園児達は気づいていないかもしれませんが。それよりも、私にはそのDSをやる姿がとてもさみしく映るのです。  この子の親もきっと、あまり興味のないだろう保育園のお遊戯会に付き合わせるのだから、DSをやるくらいいいだろうと思っているのでしょう。でも、それは違います。この行為は、この子にとっても、披露している園児達にとってもとてもかなしいことなのです。この子は、この場でDSをやることによって、自分の周りの存在を消します。少しおおげさですが、この瞬間はDSの中の世界が自分の存在する世界になります。ということは、この子自身も今、このお遊戯室から存在が消えているのです。こんなにぎやかで楽しい空間に、個と個、自と他を断絶したさみしく孤独な状態を作り上げているのです。  別にこの子に悪気はありません。ただ、こういう場でゲーム機をやることがあやまりだと気づかされないだけなのです。「今日は、弟(妹)のお遊戯会を見に行く。園児達みんな今日までがんばって練習してきただろうから、自分の兄弟だけでなく、他の園児の時もしっかり応援してあげよう。だから、DSは置いて行くぞ。」と言えば、子供は理解するのです。そして、みんなでいる時は、その空間を大事にするということを学ぶのです。それを、「子供がやりたいって言うから。」、「やらせとけばおとなしくしてるから。」と、いつでもどこでもゲームさせ放題にするから、自分のことしか見えなくなって、周りの状況を把握し行動につなげるという一番基本的なところが希薄になってしまうのです。  ちなみに、私のうちにはDSはありませんが、もしあったとして、今日いっしょに観に来た小学生のお姉ちゃんにDSを持たせたとしたら、妹の応援そっちのけでDSをやっていたかもしれません。しかし、実際は、娘は妹が出るプログラムでは真っ先に妹を見つけて応援したり、他の園児のお遊戯も楽しそうに観ていました。いっしょに連れて来てよかったと思いました。だから、DSをやっていたこの子が悪いのでなく、そういうことを教えてあげられない今の大人が悪いのです。    ポータブルゲーム機は、その名のとおり、どこでも持ち運べて、いつでも好きな時にできる便利なものです。しかし、いつでも好きな時に『できる』からと言って、『やっていい』ということではありません。ゲーム機を与えるなら、場をわきまえることも合わせて教える必要があります。『欲求と自制』、『自分と他人』、『集団と社会』などを学ぶいいきっかけにもなるでしょう。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  整体は、他人(患者さん)のことをどれだけ分かってあげられるかが、とても重要な仕事です。「自分の空間のみが大切 」なんて考えて生活してる人には向かない仕事です。 ↓励みになります。1日1回のクリックおねがいしま~す blogRanking にほんブログ村 健康ブログへ
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