映画版『ゲド戦記』ツッコミどころ○

 この前、TV放送していましたね。映画版の『ゲド戦記』。観ていて本当に理解できないことばかりだったのですが、まだ途中ですが、原作の小説を読んで、少しはその背景が分かってきました。しかし、映画を観る人の大半は、読んでない人ばかりでしょうから、もう少し世界観の説明とか、親切に作ってくれてもいいんじゃないかと感じました。また、小説を読んだからこそ、余計突っ込みたくなることが出てきました。以下、書きなぐるように綴ってしまいましたので、読みづらいとは思いますが、おヒマのある方は、お読みください。 *注意*ネタバレしています。

 

 

 

~:~:~

 書くにあたって、真っ先に言いたいことがあります。アレンもハイタカ(ゲド)に助けれて、お礼言わないし、テルーもアレンに助けれて、礼を言わない、それどころかキレてるし。基本、子供向けアニメで、これはないです。観ていて、「何で?」と首をかしげました。もうこの時点で理解不能で、主人公に感情移入できなくなっていました。

 まず、序盤の2匹の竜の争うシーン。1匹が海に叩き落されているので、最後にテルーが竜に変身した時、「ああ、始めに出てきた竜ね。」と思ったのですが、よくよく考えてみれば、テナーがテルー(名前似てるな~)を面倒見てるのが、5年前からというので違いますよね。だったら、船乗りがひと言、「竜が争っているのを見るなんで、5年ぶりだ。その時は竜の大きさは大人と子供くらいの違いがあったが・・・」とかつぶやいてくれてればいいのにと思いました。紛らわしいですね。

 アレンは、何で父親である国王を殺したのでしょうか。(これもできれば終盤、実はアレンが国王を刺した後、城の魔法使いが医術で国王の、傷を癒し、一命を取り留めているというシーンを挿入してほしかったのですが。) あの時のアレンは、不安が大きくなりすぎて、心の闇に身体を支配され、光の部分(⇒この影が後で実体化)がすでに追い出された状態だったと思うのですが、正気を失っていたからというなら、その後も心の闇の支配状態は続いているので、テルーを助けたり、農作業を手伝ったりなんてしないのでは?と思います。では、心の闇の部分はほんのお手伝いで、自分の父親をこの手で殺したいという願望がもともとあったのではないでしょうか。そうなると、やはりそんな主人公には感情移入できませんね。

 アレンはオオカミ(野良犬?)に追いかけれていましたが、城で国王を殺して逃げているのですから、普通は兵士に追われるシーンでしょう。オオカミに追われる必然性を感じません。そこをハイタカが偶然通りがかって、アレンを助ける過程で事情を聞く。ハイタカは、父殺しの罪を承知で、その原因をもこれからする旅の中であきらかにするのだ、というふうに進めないと父殺しのアレンを許せないまま、観続けることになってしまいます。

 それから、アースシーの世界では、『物の真の名前』が非常に大切で、魔法を掛けるにも、その『真の名前』を知る必要があります。これは一応ハイタカが説明したり、冒頭の海のシーンでも出てきますが、実際にハイタカが魔法を掛けるシーンで、観客に知らしめてほしいと思いました。それは人に対しても同じ事で、むやみに人に自分の真の名前を明かしてはならない、だからゲドは本名のゲドとは名乗らず『ハイタカ』と名乗っている、そこは序盤できちんと説明してほしかったです。それが観る人が分かっていないと、テナーがハイタカに、『ゲド』と声を掛けた時に、どれだけハイタカにとってテナーが信頼に足る大切な存在だということかを知ることができません。

 それと、アースシーが世界の均衡を崩している原因は、結局何なのでしょうか。魔導師クモが、自分のみが魔法使いの存在でありつづけ、不老不死を手に入れるためにしていることが原因なのでしょうか。それとも、別の原因があって、たまたま今、世界の均衡が崩れつつあって、魔法も効きにくくなっているから、今がチャンスとばかりに、クモ一味が暗躍していただけなのでしょうか。その辺がまったくはっきりしません。だから、最後にクモが退治されて、メデタシメデタシみたいになっても、すっきりとしないのです。

 気になることはまだあります。私は、途中まで、アレンの心の闇を利用したクモが別人格を作って、アレンの身体を乗っ取り、国王を殺して国を混乱に陥れようとしたのだと思っていました。そしてその乗っ取り用の人格は、父殺しの後、ハイタカに出会う前に、アレンの身体から抜け出し『影』として実体化していると解釈しました。しかし、実はそうではなく、ハイタカと行動を共にし、途中でクモにさらわれていたのは、『心の闇』君の方でした。だとすると、そのアレンがクモと対峙した時に、鞘から剣を抜く事ができるようになるためには、追い出された『光』(を実体化した影)君とまた、同化しないといけないんじゃないかと思うのです。そのまま、光の象徴のような剣を抜く事ができてしまうのは矛盾を感じます。

 それと最後、テナーは自分の正体を竜だと明かした(もしくは思い出した)後は、人間の姿には戻らず、竜の故郷に住む自分の親のところに戻るべきだったと思います。そうしないと、アレンが城に戻るのとリンクしなくなってしまいますから。

 こんな感じで、最初から最後まで、少し観ては「はぁ?何でそうなるの?」、少し観ては「そこ違うだろ?」とダメ出しの連続でした。映画公開当時、かなり不評だったのですが、あの時は映画を観て、期待してたよりつまらないなという感想だけでした。しかし改めて、見直すと、みんなが何でダメ出ししてたのかよく分かりましたね。

 今、小説『ゲド戦記』の1巻、2巻を読み、3巻を少し読み始めたところで、このブログを書いています。3巻を最後まで読んでから書こうとも思ったのですが、どうしても映画版のツッコミどころが思い出されて、書かないと3巻を読み進められないので、とりあえず書くことにしました。  まだ、3巻のはじめの方ですが、すでに面白そうな予感がしています。何よりアレンがしっかりしていて、いい感じです。

 

=========================

《メルマガ『まぐまぐ』発行しています》

『整体師のミカタ』 に関してご意見やご要望などが ございましたら、お気軽にお知らせください。 http://www.mag2.com/m/0001002720.html   

これからもどうぞよろしくお願いいたします。  

=========================

 

2024年4月
« 3月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930