善悪と好き嫌い○

 以前、ブログで『ダメとムリとヤダと』という記事を書きましたが、ちょっと似たような内容になるかもしれません。まあその点は、書いている人が同じなので、憶えている方がいらっしゃいましたら、ご容赦ください。

 「ダメ」は客観的理由がある時に使い、「ヤダ」は個人的理由で拒否したい時に使います。「ムリ」は個人的理由を全面には出したくないが、拒否したいという時に使います。しかしこれをいちいち考えて、使ってなんていませんよね。感覚的に、その場で出た言葉が、たまたまそれであるというくらいのものでしょう。今はかなりごちゃまぜで、使っていますよね。

 つまりこれ、人は善悪で判断しているつもりが、いつのまにか結構、好き嫌いで判断しているということなんです。ですから、「誰か」が「何か」をしてしまって、それを注意しなくてはいけない時でも、「何をやったか」の程度でなく、「誰がやったか」の人物で、注意のしかたが変わってしまうのです。たとえば、お姉ちゃんがやれば叱られるのに、年子の妹ならセーフ、みたいな。

 会社でも、叱られずにうまく切り抜ける部下と、何をやっても小言を言われる部下と、分かれますよね。でもその上司はおそらく、全然えこひいきなんてしてなくて、仕事として、客観的に判断し、両方に注意しているつもりなんです。だから後から、どこかで「○○部長は、□□主任のことをひいきしている。反対に△△主任に冷たい。」なんて耳にしたら、驚いて否定することでしょう。

 また、たいがいの人は、自分で悪いことをしている自覚はない、というか、基本的に悪いことをしてやろうと過ごしている人はいません。いるとしたらその人は犯罪者です。警察に捕まってもらわなければなりません。しかし、好き嫌いが優先し、良くないことをしていることも多いのです。タバコのポイ捨て、痰吐き、その瞬間は悪いという自覚はないでしょう。道路を制限速度を5km/hオーバーするのも、悪いと言えば悪いことでしょう。電車で、優先席が空いているからと対象者でない人が座るのも、良くないと思います。

 さらに好き嫌いが優先していると、言うことがその時、その時で変わってしまいます。前に良しとして、言われていたことが、今回はなぜかダメと言われたことありませんか?おそらくその人は気分で物事を言っている人です。その人の善悪の判断はきっと、あまり当てになりませんね。

 しかし、そう言いながらも、この私も、きっと子供に接する時も、その時の気分で、好き嫌いで物事を言っているかもしれません。父性の代表である『厳正さ』を保とうとして、実は正しいフリして、自分の都合のいい言い訳でごまかしているかもしれません。でも心の中で、そういう自戒を持っていれば、少しはマシかなと思うようにしています。

 自分で自分のことを分かっているつもりになっているのが、一番アブナイのかな? 気をつけたいと思います。

 

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