世間のさまざまなニュースや、自分の身の周りのこと、そして自分自身を振り返ってみると、人間、一番つらいのは、存在価値を否定されることなんだと思います。また、逆を言えば、誰かに、自分の存在価値を認めてもらえれば、幸せを感じることができる、生きていくことができる。きっとそういうことなんだと思います。
だからこそ、自分の存在価値を脅かすものに、人は嫌悪感を感じ、時に必死で抵抗しようとします。それは大人でも同じです。不祥事が起きても辞任せず、役職にしがみつこうと抵抗するのは、辞めろ言われることは、自分が今までやってきたことを否定され、なおかつ今の自分すら要らないと言われることと一緒に感じるからです。「職務をまっとうすることこそ責任」というのは詭弁です。
また、もっと身近な話しで言えば、よく親がこどもに「おまえは橋の下で拾ってきたんだ」とか「おまえみたいな子は、ウチの子じゃない」言ったりしますよね。こういう出自に関することで否定されるのは、聞くほうはウソだと分かっていても、言われるとちょっとショックですよね。できれば言わないほうがいい冗談でしょう。
学校で謹慎処分で、一週間停学になったとします。形だけ見るとなんだか、悪いことしたのに、一週間も学校休めるんだみたいにも思えますが、中身はそうではありません。その間、「学校には来てはいけない」と言われているのです。「今のおまえだったら、この学校に要らない」と。これも存在の否定ですよね。学校は休んでもほかにやることないし、結構キツイと思います。
存在の否定というのは、けっして悪い面ばかりではありません。先に書いたように、反省を促すには有効な手段です。その場を離れないと気づけないこともあります。一度自分で自分を否定してみると、新(さら)の状態から始めることができます。本人にはつらい選択でも、自分を見つめ直すのに必要な行程なのかもしれません。
もちろん、絶対やってはいけない存在否定もあります。それはいじめです。たとえばひどいいじめを受けて自殺をしたこどもは、きっと身体的な暴力に加え、「死ね」「消えろ」みたいな存在そのものを否定する、精神的にも耐え難い苦痛を与えられたのだと思います。机をどこかに隠すとか、わざと無視するとか、葬式ごっこをするなどは、その人の存在を否定するいじめ行為ですよね。
もしそういったいじめを受けても、けっして自殺という選択肢を選んでほしくありません。親はきっと、何があっても子供の存在を受け入れてくれるはずです。「大丈夫、私はあなたの味方だよ」そう言って、存在価値を認めてくれる人がいる限り、本当に大丈夫です。
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