で、そこから何を学ぶか○

 最近、いろんなことが細分化され、専門化し過ぎていて、果たしてそれでいいのか?それはそれで意味があるのか。でも価値としてはどうなんだろう?というのをつらつら考えたりしてます。(また、よく分からない書き出しで、すみません。なにせ言葉を思いつくままに書いているもので。)

 人はいろんなことにチャレンジをするものです。他意なく純粋に、目標目指して、チャレンジして構わないのですが、最終的にはきっと、『で、そこから何を学ぶか』『それが自分の何に活かされていくか』が大事なんだと思うのです。もちろんそれは、オマケの部分なんですが。

 結果を最優先するあまり、効率よく最短距離で進むことを考えすぎてしまうと、そのオマケがついてこなかったりします。すると、結果が自分の望んでいたものでなかった時に、失望感しか残らなかったり、または望む結果は得られたとしても、意外に満足感が低かったり。当の本人に聞いてはいないので、私の単なる思い込みかもしれませんが。それにやっぱりオマケって、あったほうがうれしいですよね(笑)

 おそらく、勉強でも習い事でもそうなんですが、そう思い始めてたきっかけというのは、TVの、クイズ日本一を競う番組とSASUKEですね。普段から雑学を知識として覚えていたり、ひらめきや勘が冴えるようなクイズを解いていたりして、それをたまたまTVで披露する、競い合うならいいのですが、ある特定のクイズ番組で勝つためにはどうするかという努力は、その目標が終わった時にその人に何を残すのだろうかと考えてしまいます。

 また、体操やエクササイズ、仕事内容で、身体を鍛え上げた人達が『SASUKE』の中で、超人的な身体能力を発揮し、ステージをクリアしていく様を観るのは、じつに面白いのですが、ステージクリアの練習だけをして参加してくる人が、本当にステージをクリアしたのを観た時、素直に「スゴイ!」って思えないのは私だけでしょうか?

 大学の受験勉強なんかでも、感じることがあります。たとえば大学の入試傾向に特化した合格のテクニックを塾で教わって、もちろんけっして本人は楽をしているわけでなく、必死で努力をして、志望校に合格するわけですが、その時ついた学力ってどのくらい本人の身になっているんだろう?と思います。

 私が言いたいのは、せっかく努力するのだから、ひとつの目標だけで終わってしまうのはもったいないということなんです。その努力の過程から、当初の目標以外の何かを学ばないと損をしている、というよりも、本当はオマケの部分のために、努力しているのだと思うのです。(今回は、かなり分かりづらいですね、きっと)  子供が家でやる宿題も、それで学力が付く付かないは、問題ではないのです。学校から帰ってきて、家で机に向かう習慣をつけるのが大事なのです。宿題をしなくても、学校で覚えてきてるから、または勉強ができなくてもまったく構わないから、とかそういう問題ではないのです。遊びたいのを少しガマンして、まずは机に向かう。その習慣が身について大人になった時、きっとそれがとても役に立つでしょう。

 ムダなこと、余計なことにも、それなりに意味があり、そのひとつひとつが後々本人の身になるのだと思います。そう思うと、経験してムダなことなんて、何ひとつないのかもしれませんよね。    

 

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