自疑も必要○

 最近は、自分に自信を持つことの大事さ、ポジティブシンキングの大切さがよく取り上げられています。何が正しいのか分からない、複雑極まりない社会で、自分を見失いがち。仕事がうまくこなせず、自信を失い、うつなど病的になってしまうケースも耳にします。だからこそ、巷では応援ソングが流行り、自己啓発本の内容も、自分の評価を前向きに捉えましょう的なものが、多く書店に並んでいます。しかし、はたして本当にそれだけでいいのでしょうか。

 実は、私は先日、取り返しのつかないような、大きな大きな過ちを犯しました。(*整体の施術に関することではありません。その点だけはご安心を。) しかし、その過ち自体よりも、過ちを生み出す自分自身に問題の本質がありました。私はある方に諭されてようやくそのことに気づきました。私は、自信を通り越して、慢心し、思い上がっていたのです。そういう自分を、自分のする行為を、疑うということをして来なかったのです。

 そしてやっと分かったことがあります。人は自信だけではダメだということ。自信は過信に、過信は慢心につながります。そのブレーキ役として言うなれば、『自疑』の心を常にあわせ持たなければならないのです。自分の行いが正しいだなんて、簡単に思ってはいけないのです。何気ない言葉や振る舞いが、いかに周りを不快にさせるか、不満に、迷惑に思わせているか、時に立ち止まって考えることが必要です。何かをやる際に、主観で判断し、物事を推し進めてしまった場合は危険です。

 私は、自分の行いを上っ面の確認だけで、良しとしてしまう傾向にあります。第三者の意見を聞いたり、自分でも客観的に見つめ直せば、「それはまずい」と気づくはずなのですが、大丈夫だと思い込んだ結果、止めたり、変更したりするチャンスを逃してしまいます。思えば、小さい時、若い時、そして今、幾度と自分を改めるきっかけを他人に与えてもらいながら、事の本質に気づかずここまで来てしまいました。

 ただ、自疑の心を持つからと言って、自信を持ってはいけないというわけではありません。自疑がブレーキなら、自信はアクセルです。自分自身で一歩前に進まないと、成長も進歩もありません。自分の良かった点、周りが認めてくれた点は素直に誇っていいと思います。失敗した時も反省ができるなら、それも評価していいと思います。

 へこんで、諦めて、自暴自棄になるのは、反省とは言いません。しっかりと自分自身を見つめ直して、心の周りの余計な物を削ぎ落として、真の核たる自分を根拠に自信を持って、客観の自疑を側に置きつつ慎重に少しずつ前に進めば、こんな自分も変われるのではないか、そう思っています。

 

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