国歌は聴くものでなく歌うもの

 先日、ある市の空手道大会の審判員を務めてきました。簡単な開会式の後、午前中に形競技が行われ、昼休み、そして午後の組手競技の前に式典がとり行われました。  式典では、空手道関係のお偉いさんや、市長さん、国会議員の秘書さんなどの挨拶がありました。その中でも、市長さんの言葉の中で、「国歌は聴くものでなく歌うもの」 というのが印象に残りました。なぜ市長さんが、そんなことを言ったのかというと、『国歌斉唱』の時に、選手団の方からは歌声があまり聴こえてこなかったからなのです。私も、他の大会でもそれは、気になっておりました。  選手団の大半は、小中学生です。学校で君が代を習っているはずなので、歌えるはずなのですが、こういう場で大きな声で歌っている子供は少ないです。別に、普段から口ずさむ必要はないですが、日本国民である自覚と誇りをもって、公式な場では、堂々と国歌を歌う。こういう姿勢はとても大切だと思います。  子供のうちは、小学生高学年あたりから、こういう場で積極的に歌うことを、はずかしく思ったり、めんどうくさく感じたり、何となく逆らってみたくなったりするものですが、そこを大人(先生・親)が指導していくべきだと思います。とは言え、自分も子供のころは、「何で君が代とか、校歌とか歌わなければなんないの?」 といやいや歌っていたので、そう今の子供たちに偉そうに言えないのですが、今は、国歌斉唱の際には、周りにもはっきり聴こえるように声を張って歌っています。  となりに立っている審判の先生からも同様に、歌声が聴こえてくるとうれしいもので、身が引き締まり、これから公式競技が始まるぞ!っていう雰囲気になります。私自身は、君が代の歌詞も曲も好きです。君が代が国歌で良かったと思っています。  北京オリンピックで、水泳の北島康介選手が世界新記録で2連覇を達成し、国旗が掲揚され、国歌が流れた時は、誰しもが日本人であることを誇りに思えた瞬間なのではなかったでしょうか。どの国の国民も、自分の国を愛し、その国民であることに誇りを持っています。その象徴たる国旗や国歌をとても大事にしています。  自由の国フランスでも、国旗や国歌を集団で侮辱した場合、6カ月の禁固刑および7500ユーロの罰金刑が科せられるくらいです。日本は、罪の文化より恥の文化ですから、罰則を科すというより、モラルとしてそんなことをしてはならないとしていますが。  私は、自分の国(=故郷)を愛することと、国旗・国歌を大切にすることは、同義だと思っています。また来月も、空手道大会の審判に赴きますが、その際はしっかり国歌を歌おうと思います。  ちょっと蛇足ですが、式典の際、整列して話しを聞いている子供たちの中に、その後組手競技に使う拳サポーターを足で踏んづけて遊んでいる子が数人いました。子供たちにとっては、来賓の長話しはうんざりなのでしょうが、見ていて腹立たしく思いました。団体関係者さんが気づいて、後で注意してくれることを期待したいと思います。  用具を大事にしない人は、その競技をする資格はありません。
~〈整体師の味方コメント〉~
 さすがに、いくら君が代が好きでも、院内のBGMとしては、少し違和感があるかもしれません。リラックスするどころか、緊張してしまいますね。また、『蛍の光』も、閉店をイメージしてしまうことから、こちらもBGMには不向きとされています。いい曲なんですがね。 ========================= 《メルマガ『まぐまぐ』発行しています》 『整体師のミカタ』 に関してご意見やご要望などが ございましたら、お気軽にお知らせください。 http://www.mag2.com/m/0001002720.html   これからもどうぞよろしくお願いいたします。   =========================
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