できない事でなく、やろうとしない事こそ恥ずかしい○

 何でもそうですが、初めから簡単にできることなどありません。TVゲームですら、慣れるまでは苦戦するでしょう。それは、友達とのルールのある遊びでも、勉強でも、スポーツ・運動でも何ら変わりありません。できなくて当たり前、別に恥ずかしがる状況でないにもかかわらず、どうも周りを見ていると、何かをできない姿を人に見られるのを、極端に嫌う子・人が多いように見受けられます。

 たしかに上手くやろうとして失敗した姿を、進んで人に見せたがる人はいません。しかし始めて間もないまったくの初心者のうちから、できない姿は人に見せまいとして、まったくやろうとしないか、ふざけて真剣にはやろうとせず、恥ずかしがるというのはまったくの勘違いだと思うのです。

 もし何かに真剣に打ち込む姿を笑う人がいたら、その人こそが笑われるべき人間です。物事は初めはできないのが当たり前。何度も何度もチャレンジして少しずつ前進していく。前進するスピードは人それぞれ。時には一見後退したかのように見える時もあるでしょう。それでも懸命に努力していれば、必ず進歩は見られます。努力は嘘をつかない事を私は信じていますし、これまでの人生の中でも実感しています。

 『できない事』でなく、『やろうとしない事』姿こそが恥ずかしい事なのです。そう考えれば何事にも率先して取り組めるのではないでしょうか。これは勉強や運動に限ったことではありません。例えば、挨拶。もし本当に『挨拶ができない』というのであれば、それは恥ずかしがる事ではありません。しかし、ほとんどの子・人は、本当は挨拶の言葉を発したり、おじぎをしたりする動作はできますよね。でもしない。何で?と聞くと、「恥ずかしいから」「面倒だから」。それこそが、恥ずべき事なのです。

 日本人はどこかで、恥ずかしさの基準というものを間違えてきてしまったのかもしれません。それはTVなどメディアの影響もあるかもしれませんし、目立つ事への恐れや、自分の素を晒す事への抵抗もあるかもしれません。しかし、人のできない姿を笑うのでなく、自分のできない姿を恥じるのでなく、やろうとしている姿を褒め合える人間関係・社会を目指すべきだと私は思うのです。

 

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