金持ちと裕福は違う○

 「金持ちと裕福は違う」

 「お金が無いのと貧しいのは違う」

 私の子供の頃、親いわく、どうやらウチは貧乏だったらしい。しかし私は、自分の家が貧乏だと思ったことは一度もなかった。きっとそれは、父と母が私たち兄弟を育てるために懸命に働く姿を見せていてくれたからだと思う。そこには『勤労』という安心感があった。私自身もアルバイトをしたが、それをキツイとは思わなかった。むしろ働ける喜びを教えてもらっていた。今はお金は少し足りなくても、働けばなんとかなる。自分自身の努力で、欲しい物は手に入る、という自信を与えてもらっていた。私は幸せだったし、夢があった。満たされていたが、飽心はなかった。両親にはとても感謝している。

 一方で、お金があっても、裕福ではないとはどういうことか。裕福になるため必要なのはお金の額ではない。心の満足度が重要だ。働けるのに、働かない『不労所得』状態では、逆に心が貧しくなる。お金があっても満たされない。あぶく銭は、あぶくに消える。お金を得るにも、使うにも理由が必要なのだ。自分が社会貢献した見返りがその収入ならば、それは自分にとって尊いお金だ。自分の存在意義を表すものだからだ。苦労して得たお金には価値がある。これは、苦労した本人にしか分からない。

 そうやって自分の存在価値を投影したお金を自分の好きなことに存分に使えた時、贅沢したなと感じることができるのだ。お金を得る時にも、使う時にも心が満足しているのだ。額の大小は実はあまり関係ない。そういう経験をしてきたかどうかで幸せの尺度が決まる。

 財産と呼べる物とは、土地や資産、現金などではない。自分が身につけた物だけ(人間関係含む)だ。自分が身につけた技術で仕事をし、得た収入だから価値がある。誰かのお金を掠め取って生きる人生には幸せはない。自分の足で立って歩いて稼いで、生活できて初めて活きてるって実感できる。活きてる実感がなければ、幸せも実感できっこない。

 お金は大切で、無ければ生きてくことは困難だが、どんな手段でも手に入ればいいというのは間違っている。

*今回は、いつもの丁寧語調ではなく、口語調で書きました。「生意気だ」「上から目線だ」というご批判がきそうですが、ですます調で書くと私の気持ちと一致しない気がしましたので、こういう文体になりました。最後までお読みくださった方、ありがとうございます。

 

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