必要条件と十分条件

なんだか、タイトルが数学ですね。懐かしい人やそれこそ今習ってる最中ですという人もいると思います。

何の話しかと言えば、実は空手道です(またか?)。空手道に礼節は必要条件ですが、空手道を習っているからといって、礼節が備わる十分条件にはならないという事です。とても残念なのですが、これは事実で、実際に目の当たりにする事になりました。

先日、もう何十年も空手道の稽古を続けている人と話し合いをしたのですが、悲しい事にその方からとても礼節が備わったとは言い難い言葉を受けました。私からは、敬語で淡々と事実を交えながら私の思うところを伝えたのですが、癇に障ったか、痛いところを突かれたからか、のっけから「おまえ」呼ばわりでとにかくこちらの考えには聞く耳を持ってもらえませんでした。私としても相手の考えを把握したく、話を聞いた上で質問をするのですが、それを敵対と取られてしまい、また激昂する始末。筋道を立てて理解してもらえるよう説明しようとしても「能書き」「口先だけ」とまったく受けつけてもらえませんでした。ここまで書くと、さぞ私が怒り心頭だったと想像されるかもしれませんが、以前、ブログに書いたとおり、『怒りをコミュニケーションの手段に使わない』と決めていたので、呆れたり、悲しい気持ちはありましたが、相手の激昂に付き合うような言動はしませんでした。

私にパワハラは通じないのですが、大きな声で怒鳴ったり、声や態度あるいは暴力を連想させる態度で威嚇したり、乱暴な言葉遣いを用いたりして、なんとか自分を優位に持っていこうとしても、所詮論理的にあるいは社会通念的に間違っていたら、それは通りません。ことわざで、『無理が通れば道理が引っ込む』とありますが、そのような事は認めてはならないのです。空手道は、人格完成への道です。もちろん『への道』ですから、現在人格が未熟でもまったく構いません。私もまだまだです。しかしながら人に空手道を教える側になるほど何十年も空手道の稽古を積んできたのなら、それ相当の人格が備わり、礼節を身につけて当たり前になっていないといけないと思います。少なくとも私はそう思いながら日々自身の稽古、または指導に当たっています。

空手道は、心身を鍛え、礼節を重んじ、親切心や道徳心を養い、護身術を身につけ、感謝の心を学べる素晴らしい自己実現法だと思っているのですが、ただ続けていれば誰にでも自然と備わるものではないという事が今回よく分かりました。空手道に何を求めるのか、空手道を学びながら空手道で何を学ぶのか、自分で意識をしない限り、肝心な事は何一つ身につかないのだと知りました。今回の件は、他山の石として肝に銘じておきたいと思います。

また、今回の件を通して、自分が何を言われても感情的にならなかった事、暴力を連想させるような行動態度をされてもひるまなかった事、もちろん自分からもいっさい手を出さなかった事、最後まで自分の信念を曲げなかった事は、後で思いのほか今後の自信につながりました。自分も昔の自分からは成長しているんだなと。少々のトラブルを目の当たりにしても冷静に対処出来そうです。さっそく他山の石、使わさせてもらいました(笑い)

 

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