教えてもらえる幸せ

 日付変わって昨日は、久しぶりに月曜日の空手道の稽古に行きました。越香会のせんげん台道場の稽古日は、毎週月曜日と木曜日です。よろしくお願いいたします。  今日の稽古終了後、師範に空手道の形(かた)をみてもらいました。形には、全空連指定形の他に、越香会には会派の形というものがあります。最近は指定形ばかり稽古していたので、会派の形もやっておきゃないと~と思いながら、鏡に向かって形を始めていたら師範にいろいろご指摘をいただきました。  指定形と混同してしまったり  自分が思い違いをしていたり  細部にまで思いが行き渡っていなかったり  頭で分かっていても身体が動いていなかったり   と、けっこうダメダメでした。指導員返上ですね(笑)。自分ではできている、これでいいと思っていた動きが実は、全然できていないという事実は、指導員としては大変マズイことなんですが、指摘を受けている時間、「ハイ!」「ハイ!」返事をしながら、空手道を教えていただけることをとてもうれしく感じていました。    家庭では2人の娘に父親として接し、空手道場では指導員、整体教室では講師、そしてメインの仕事は開業整体師と、よくよく考えてみれば普段の生活の中で、人にあまり指導していただくことがないのです。これは一見、自分の好きにできて、ストレスがなく楽そうに見えますが、実はひとつ道を踏み外してもだれも注意してくれないという、とてもコワイ状況なのです。普段自分のしていることが正しいかどうかを、常にもう一人の自分が客観的に見れていなくてはいけないのです。  人間は、自分を基準に物事を考えます。自分の考えや行動は常に100%正しいとは言わないまでも、間違ったことはしていないだろうという感覚で動いています。でも、人間の感覚は、自分だけを基準にしていると少しずつズレていきます。身体的な例をあげると、直立して目隠しして、その場で元気よく足踏みを50回して、その場から動いていない人はまず、いません。でも、これが目を開けて、周囲の様子を見ながらやれば誰でもできるのです。  私は、整体教室でも、空手道場でも、実は教えるふりして教わろうとしています。基本を見失わないためです。教えている間にもさっきまで思いつかなかった言葉が出てきて、自分で「ああ、そうなんだ。」あらためて考えたりもします。あまり時間のない中で、子供に接するときも教わることがたくさんあります。仕事でも、患者さんから学ぶことはとても多いのです。  人に何かを教えてもらえることはとても幸せなことで、形上、直接教えてもらっていなくても、自分がちょっと注意して見てみれば、どんなものでも“先生”になりえるのです。    ↓励みになります。よかったら1日1回クリックしてください。 blogRanking にほんブログ村 健康ブログへ
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