護身としての空手を教えなくてはならない時代なのか○

 先日、16歳の少年が容疑者として逮捕された、松戸・三郷の連続通り魔事件にはたいへんショックを受けました。小学生の2人の愛娘を我が身としては、被害に遭われたお子さんはもちろんのこと、その親御さんの悲しみや怒り、恐怖を思うと居ても立ってもいられません。お子さん方のいち早い回復を願うばかりです。

 報道によると、犯人の16歳の少年は、見た目おとなしい普通の男子高校生だったようです。しかし、事件を起こす以前から動物虐待を繰り返すなどの問題行動が目立っていたということで、おそらく捕まる前から少年の周辺の住民は、うすうす犯人に気づいていたのかもしれません。

 しかし、みんながみんな、「一見おとなしく見えるが、あの人はおかしい。」などと分かっているわけでもなく、知らない人は気をつけようもありません。いったいなんでこんな世の中になってしまったのでしょうか。「子供は外で遊んできなさい!」と無条件で言われていた私の子供の頃がなつかしいです。

 私は子供たちに空手を教えているということで、「空手はイザとなれば、護身に使えていいですね。」と、知り合いや整体院の患者さんに言われるのですが、心の内を明かすと、子供たちに『護身としての空手』を教えるのはイヤなんです。世間がそんな殺伐としているなんて、子供たちに思ってほしくないんです。空手は、礼儀を学び、心身を鍛え、みんなと思いっきり身体を動かして、冬でもしっかり汗かいて、楽しくやってほしいんです。誰かに襲われるかもしれないから、身を護ろうなんて動機で始めてほしくないんです。

 たしかに、とくに形(かた)の稽古の時は、その意味を教えます。その動きはまさに護身そのものです。マスターすれば即護身術となるでしょう。しかし子供たちにはそこはあまり意識せず、伸び伸びとやってほしいのです。組手も襲い掛かる相手を想定するのでなく、同じ競技をする者、相手に感謝の念を抱きつつ、自分の身につけた技を存分に繰り出してほしいのです。

 空手道は武道です。武道とは、私論で簡単に言えば、護身の技を精神修養の道にまで昇華させた伝統技法です。ですから、競技やスポーツの側面よりも護身としての空手を教えることが時代の要請ならば、指導者はその要請に応えなくてはならないのかもしれません。  しかし、本当は我々大人たちが、子供たちが護身術を学ばずとも安心して、いろんなことに打ち込めるような社会を実現させていかなくてはならないのだと思います。

 

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