それは『違い』か『間違い』か○

 気ぜわしくなってくると、心のゆとりというものがなくなってきて、いつもなら気にならない程度の、他人の間違いでも、つい言って正したくなります。しかしその時は、他人の行為は『間違い』に思えても、よく考えてみれば、単に自分と『違う』だけで、間違っているとまでは言えないということもあります。また、指摘する程の間違いか?スルーでも良かったのでは?という時もありますね。

 基本的に、人間みな、自分がスタンダードで、自分なりの常識や良識に則って行動します。犯罪者は別として、間違っていると分かっていて行動する人はあまりいないでしょう。ですから自分が考えていたものと違う行動を取られた場合、自分の常識で考えて、「あっ、それ間違い。」と思いやすいのです。しかし物事には二面性があります。メリットとデメリットがあります。原発の再稼動問題にしても、「停めたままにしておくのが間違い」とも言えますし、「動かすことが間違い」とも言えるでしょう。一方の見方からしたら、他方は『間違い』なのです。

 これを外から客観視した場合、双方どちらにも言い分があるし、見解の違いであり、一方が100%間違ってるなんて言えません。そうなるとこれは『間違い』ではなく、『違い』なのです。相手を『間違い』だと言い切るためには、自身の正当性を主張できなくてはなりません。相手に自分の間違いを指摘されても、それを覆せる根拠がないといけません。それをせず、ただ自分の常識で判断したのでは、それはもう『好み』の問題です。好みの問題となると正解はもはや存在しません。というよりすべて正解です。

 十人十色、考え方はひとそれぞれです。何か規則が決まっていてそれに反したら、それは明確に『間違い』ですが、明文化されておらず、運用の範囲で行われている場合、その場の判断は人によって微妙に違ってきます。それはまさしく『違い』です。その違いを目の当たりにした時、それを受け入れるのか、やはりそれでも『間違い』として否定するのかは、ケースバイケースでしょうが、難しいですね。私もどちらが良いとは言えません。

 また、誰かから間違いを指摘された時、「うあぁ、しまった!私のしたことは間違いだったのか。」と落ち込むのではなく、「たしかにそういう考え方もあるのか。今度からは気をつけよう。」くらいに受け止めたほうが、気持ちが楽になるかもしれません。当然、『我関せず』、『馬耳東風』では困りますが。

 

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